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2018年10月10日(水)〜12日(金)の日程で、長崎を巡る修学旅行に行きました。

今回の修学旅行の目的は・・・

行き先として「長崎」を選択した今回の修学旅行。

旅のテーマは「長崎で学ぶキリスト教宣教史と原爆被災の歴史」です。

2018年7月には、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されましたね。

 

今回の修学旅行の目的は、おもに次の2つです。

① 戦国時代末期から明治初期にかけて多くの殉教者を出した長崎を訪問し、種々の歴史的建造物を見学しながらキリスト教宣教史を学び、日本に対する神様の計画に深く思いを巡らせる機会とする。

② 長崎原爆資料館の見学などを通して、戦争の経緯や平和の大切さを学び、積極的に平和を作り出す人間へと成長する機会とする。

 

修学旅行を実施するにあたり、キリスト教宣教史と戦争についての事前学習を繰り返し、皆が上記の目的を胸に出発しました。

キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。(コリントの信徒への手紙二 13章4節)

いよいよ出発! 1日目は長崎市内の見学と世界新三大夜景

というわけで、いざ長崎へ。

秋の涼しさの中、昼過ぎに長崎空港に到着しました。

市内を歩きながら、宿泊場所の「Casa Blanca Guesthouse(カサブランカゲストハウス)」を探します。

ありました、ありました。

こちらが Casa Blanca Guesthouse です。

おしゃれな立て看板ですね!

早速中へ入ってみましょう。

みんなすでにくつろぎモード・・・。

これから長崎市内の観光に行くんだけどね・・・。

 

写真の通り中もおしゃれで、とっても快適なゲストハウスでした。

長崎に団体でお出かけするならおすすめです。

Casa Blanca Guesthouse(カサブランカゲストハウス)

 

さて、旅の1日目は、長崎市内の大浦天主堂。

カトリックの有名な教会堂ですね。

・・・と、その前に、カステラ屋さんに立ち寄るYICSご一行様。

いっぱい買ってますね。

ここは清風堂というカステラ屋さん。

しっとりとしたカステラで、とても美味しかったです。

 

長崎と言えばカステラ。

カステラと言えば試食。

試食といえば YICS・・・(なのか?)。

試食をほおばる校長先生。

試食がどんどん出てくるので、みんな試食だけで十分食べられました。

 

それにしても、初日にお土産を買い込むみなさん。

それくらい美味しかったんです。はい。

生徒作、アイスクリームのクローズアップ写真。

長崎の美味しいものはカステラだけではありません。

 

そろそろお目当の大浦天主堂へ・・・。

どーん。ついに来ました、大浦天主堂!

 

大浦天主堂は日本に現存する最古のキリスト教建築物です。

正式名は「日本二十六聖人殉教者天主堂」。

その名の通り、殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂(にしざか)に向けられて建てられています。

 

また、ここは1865年に潜伏キリシタンが日本で発見された、歴史的事件の舞台ともなりました。

250年間の禁教令の中で絶えてしまったと思われていたキリスト教信仰が、実は潜伏キリシタンたちを通して受け継がれていたことが分かったのです。

 

大浦天主堂は1953年に国宝に指定され、2018年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

大浦天主堂にはキリシタン博物館が併設されていて、潜伏キリシタンや宣教師に関わる多数の資料を見学することができます。

 

生徒たちも真剣に見学していました。

さすが「修学」旅行。

学ぶこといっぱいです。

こちらはオフショット(生徒作)。

ジブリのお店がありました。

勉強しつつ、楽しみつつ・・・。

 

そろそろ夕暮れ時。

辺りが暗くなって来ました。

お腹をすかせて長崎ちゃんぽんのお店へ。

美味しそうですね(美味しかったです!)。

 

本場のちゃんぽんを食べたら、またお出かけです。

辺りは真っ暗ですが、今度は「鍋冠山(なべかんむりやま)」という小高い山に登り、夜景を見ることに。

すごいパノラマ! 感動でした。

長崎の夜景は、モナコ、香港と共に「世界新三大夜景」に認定されているのですが、鍋冠山から見る夜景は長崎の中でも1、2を競う美しさなんだそうです。

 

夜景を満喫し、歩いてカサブランカへ。

結構疲れましたね。

帰り道に通った、夜のオランダ坂

ここも有名な観光名所ですね。

キリスト教主義大学の活水女子学園がある場所です。

 

1日目はこんな感じです。

みんなお疲れ様でした!

ゆっくり休んでねー。

2日目、二十六聖人記念館から雲仙地獄へ

ぐっすり休んで2日目の朝。

カサブランカのダイニングで朝食です。

大家族の食事風景。

朝からしっかり食べます。うん、健康的。

 

朝食を食べたら、小雨の中、路面電車に揺られて二十六聖人記念館へ。

 

長崎の街って、こんな感じで路面電車が交通の中心になっています。

慣れないと横断するのがちょっと怖い・・・。

坂が急なことも長崎の特徴です。

自転車乗る人、少ないらしいです。

こちらが二十六聖人記念館

1597年2月5日、6人の外国人宣教師と20人の日本人信徒ら計26人が、長崎市西坂(にしざか)の丘の上で殉教しました。

その殉教地に建てられたのが、二十六聖人記念館です。

 

二十六聖人の中には10代の青少年が5人も含まれており、中でも12歳のルドビコ茨木、13歳のアントニオ、14歳のトマス小崎は、今の中学生くらいの子どもでした。

館内には、ザビエルによるキリスト教伝来、キリスト教の弾圧、二十六聖人の殉教、潜伏キリシタン、明治時代の信仰の復活までの歴史が、詳細な資料と共に紹介されています。

 

こちらは、初代館長の結城ディエゴさんの石碑。

「殉教者とともに」の文字が刻まれています。

 

こちらのモニュメント、ご存知でしょうか?

二十六聖人は、京都から殉教地の長崎まで、徒歩で連行されて来ました。

その道のりがモニュメントになっているのです。

写真の左下に見える大きな十字架が、長崎の地を示しています。

ちょっと小さいですが、モニュメント全景がわかる立て看板です。

 

二十六聖人記念館を後に、次はさらなる殉教地、雲仙地獄へと向かいました。

雲仙は長崎市から東に50kmほどの所にある温泉地です。

熱湯が湧き出ていて、拷問や処刑の場所として使われました。

 

車に揺られること1時間半くらい。

ここが雲仙地獄です。

地面に開いた噴気孔からは水蒸気が立ち上り、辺り一面硫黄の匂いが立ち込めていました。

遊歩道を歩こうとしても、立ち込める水蒸気で前が見えません・・・。

こちらはカヤツリグサ科のツクシテンツキという植物。

硫黄泉のためにあまり植物が育たない環境なのですが(だから地獄っぽくなっている)、このツクシテンツキは、硫黄泉のそばでもたくましく生育するそうです。

そして、温泉地でおなじみの温泉卵。

(校長先生がみんなに買ってくれました!)

硫黄臭たっぷりですが、中は半熟で美味しかったです。

 

雲仙地獄の中でも特に大きな噴気孔が、この「大叫喚(だいきょうかん)地獄」。

勢いよく吹き出る噴気によって、「オオォー」とか「ウウゥー」とかいう音が聞こえていて、それが地獄で呻く人の声に聞こえることから「大叫喚地獄」と名付けられたそうです。

 

ちなみに、

「叫(きょう)」→ 叫ぶ(さけぶ)

「喚(かん)」→ 喚く(わめく)

です。

(「呻く(うめく)」はネーミングに入ってない・・・。)

「賽(さい)の河原」に見立てて、石も積まれていました。

 

雲仙地獄には、殉教者を記念する十字架と石碑があります。

キリスト教禁教令の時代、この場所で、逆さ吊りにされたり柄杓で熱湯をかけられたりする拷問が繰り返されました。

遠藤周作の文学作品を元に制作された映画『沈黙-サイレンス-』(マーティン・スコセッシ監督)の冒頭で、拷問の様子が克明に描写されています。

 

雲仙地獄の最後に、温かいお昼ご飯を食べました。

「養々麺(ようようめん)」という、そうめんのような食べ物です。

キノコ栽培業者が創作した料理で、キノコがたっぷり入っていました。

 

雲仙地獄を後に、午後は海岸を目指してドライブしました。

 

海です!

雲仙地獄から西南方面に下ると、橘湾(たちばなわん)に出ました。

海でたそがれる生徒の絵。

 

ここの海岸には温泉水が湧き出ていて、足湯や露天風呂、食品用の蒸し釜(むしがま)などがありました。

蒸し釜の蓋を開けると・・・

美味しそうなお芋が出て来ました!

10月の長崎はすでに結構寒くて、あったかい足湯と蒸し料理が嬉しかったです。

修学旅行も、後1日ですね。

さあ、長崎市に帰って夕ご飯にしましょう!

 

夕食は長崎中華街の中華料理屋さん。

カサブランカのスタッフお勧めのお店に行ったのですが、どの料理も本当に美味しかったです(写真がなくて残念!)。

生徒たちは追加オーダーして食べてました・・・。

 

さて、こちらは何の写真かわかりますか?

夜の暗闇の中を歩く生徒たち・・・。

 

夕ご飯の後に行った、「出島オランダ商館跡」の写真です。

そう、かの有名な出島商館。

映画『沈黙』の最後の方で、フェレイラ神父や主人公のロドリゴ神父が貿易品の検閲をしていた場所です。

夜9時まで観覧できるのですが、夜はさすがに人も少なく、写真では様子がよくわからないですね・・・。

 

こんな感じで、蔵がたくさん並んでいます。

そして、蔵の中は博物館になっていて、当時の生活の様子や世界各地のオランダ商館の様子、貿易品、科学技術製品(エレキテル、地震計、暦がわかる精密時計)などが展示されていました。

1時間半くらい見学時間をとったのですが、全然見きれないほど充実した展示でした。

 

出島商館からの帰り。

お堀の周りがライトアップされていて、とってもきれいでした。

(写真はブレブレですが・・・。)

みんな楽しそうですね。

最後の夜ですからね。

最終日の原爆資料館、平和への祈り

最終日はすがすがしい秋晴れ。

午前中に原爆資料館などを見学し、午後には空港へ。

いよいよ修学旅行も最後ですね。

 

まずは朝の1ショット。

父:「なあ、お前。聞いてるか? 父さんはな・・・。」

息子:「・・・。(無言でトランプ)」

 

はい、じゃあ出発です!

最初に訪れたのは爆心地の記念碑。

3日目は修学旅行のもう一つの目的、平和学習になります。

爆心地の解説をする校長先生。

最終日なので、みんな荷物を持っての移動です。

こちらは被爆した浦上天主堂の外壁の一部です。

浦上天主堂(大浦天主堂ではないですよ!)は、爆心地から500メートルほど離れたところにあったカトリック教会で、当時、東洋一の荘厳さと讃えられていました。

しかし原爆でほぼ完全に吹き飛ばされてしまい、外壁の一部がわずかに残されただけでした。

それを爆心地記念碑の近くに移築したということです。

被爆当時の様子を示す立て看板もありました。

 

・・・近くの川べりでオフショット。

魚がいたみたいです。

 

こちらは、朝鮮人犠牲者を追悼する石碑です。

 

原爆で犠牲になったのは日本人だけではありませんでした。

日本に働きに来ていた朝鮮人、あるいは、労働力として強制的に連れてこられた朝鮮人が、多く犠牲になっています。

(そのほか、米軍の捕虜も。)

 

石碑の近くには次のような看板がありました。

日本人、韓国人、中国人が在籍するYICSにとって、特に重要な内容だと思います。

ちょっと長いですが、以下に全文を引用します。

1910(明治43)年8月22日、日本政府は「日韓併合条約」を公布し、朝鮮を完全に日本の植民地支配下に置いたため、自由も人権も、さらに貴重な土地も奪われ、生活の手段を失った朝鮮人たちは日本に流入した。その後、日本に強制連行され強制労働させられた朝鮮人は、1945(昭和20)年8月15日の日本敗戦当時は、実に2,365,263人、長崎県全体に在住していた朝鮮人は約7万人という多数に上った(内務省警保局発表)。そして長崎市周辺には約3万数千人が在住し、三菱系列の造船所、製鋼所、電機、兵器工場などの事業所や周辺地区の道路、防空壕、埋立て等の作業に強制労働させられ、1945(昭和20)年8月9日のアメリカ軍による原爆攻撃で約2万人が被爆し、約1万人が爆死した。

私たち、名もなき日本人がささやかな浄財を拠出して異郷の地長崎で悲惨な生涯を閉じた1万余の朝鮮人のために、この追悼碑を建設した。かつて日本が朝鮮を武力で威かくし、植民化し、その民族を強制連行し、虐待酷使し、強制労働の果てに遂に悲惨な原爆死に至らしめた戦争責任を、彼らにおわびすると共に、核兵器の絶滅と朝鮮の平和的な統一を心から念じてやまない。

1979年8月9日

長崎在日朝鮮人の人権を守る会

 

戦争責任について、それぞれがそれぞれの立場で思いを巡らす機会になったと思います。

 

さて、原爆資料館の前には「平和の母子像」というモニュメントがありました。

モニュメントの前に立ち止まって見入る生徒たち。

 

この後原爆資料館に行ったのですが、館内の写真はありません。

ある程度内容は聞いていたものの、写真や映像で紹介される悲惨な状況に、言葉を失うほどでした。

命の意味、そして自分の死生観に、真剣に向き合う時間となりました。

 

原爆資料館のあとは、再建された浦上天主堂を見学しました。

先ほども触れた通り、浦上天主堂は爆心地から500メートルほどの距離にありました。

 

日本でキリスト教信者が特に多かった長崎。

そして、長崎の中でも、礼拝や祈りの中心的な場所であった浦上天主堂。

 

なぜここに原爆が投下されることになったのか、そして、信徒の多くが犠牲になることを神様が許されたのか、見学しながらとても悩みました。

冒頭から度々登場している映画『沈黙』のテーマも、時に理解しがたい神様の御心を、深く深く知ることだったように思います。

 

原爆資料館の資料によると、原爆投下の候補地点は、最終的に新潟、広島、小倉の3都市。

しかし、ある将校の進言で、長崎が候補地点の4ヶ所目に加えられることになりました。

8月6日に広島に原爆投下。

続く8月9日、2発目の原爆を積んだ爆撃機は、小倉に向かいました。

 

しかし、小倉上空は直前の空襲によって煙が立ち込め、視界不良。

爆撃機は長崎へと向かいます。

長崎の上空は雲が多く、ここでも視界不良。

しかし、燃料切れを懸念して帰還しようとした時、一瞬雲が切れて、視界が開けました。

そして、原爆投下。

 

当初予定していた原爆投下地点は、三菱の造船所や製鋼所、兵器製作所などが立ち並ぶ沿岸地域でしたが、結果的に大きく外れ、浦上天主堂の近くに投下されることになりました。

 

これが、長崎(浦上天主堂の近く)に原爆が投下されることになった経緯です。

考えれば考えるほど、人の計画ではないと思わされますね。

 

理解しがたいことの中にも、神様の計画と秩序、そして憐れみがあることを信じます。

 

浦上天主堂は小高い丘の上にあります。

長崎市街を見下ろしながら、最後の目的地、平和祈念公園へと向かいました。

 

こちらは平和祈念公園にある大きな噴水。

平和の泉」と呼ばれています。

 

近くの石碑には、次のような詩が刻まれていました。

のどが乾いてたまりませんでした

水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

-ある日のある少女の手記から

 

原爆のために体内まで高熱で焼かれ、極度の渇きの中で水を求めた人たち。

この詩は、水を求めてさまよった、ある少女が遺した手記だそうです。

 

水を求めて苦しんだ彼らに水を捧げ、冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて、この「平和の泉」は建設されました。

 

平和祈念公園の片隅で祈りを捧げるYICSメンバー。

改めて漢字を見ると、「記念」ではなく「祈念」なんですね。

ここは祈りの場所。

 

最後の全体写真です。

平和への願いを象徴する平和祈念像の前で。

終わりに

2泊3日の修学旅行を導いてくださった神様に感謝します。

楽しい中にも、殉教や核兵器のむごさ、命の意味、神様の御心について深く考える時間となりました。

 

今回の旅行は本当に学ぶことが多く、東京に戻ってからも、それぞれの感想などを分かち合う時間を持ちました。

また、怪我や病気もなく、メンバー全員が揃って旅行できたことも感謝です。

 

生徒たちを快く送り出してくださった保護者の方々、準備してくださった先生方、支援してくださった教会の方々に、この場を借りて心よりお礼申し上げます。

(文責:渡邉)

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